〜 アートンソウルヒストリー Vol.2 〜
その後、一旦ダンスのことは心の奥へしまい進学後も勉強と部活の日々が続いていました。
そんなダンスを忘れかけていた高1の夏、体育大会での団応援で突然先輩方がブレイクダンスを踊ったんです!
曲はフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「リラックス」、かなり隠語を含んでおり今なら学校では流せなさそうな攻めた歌詞。
でもトラックはメッチャカッコ良くて、ブレイクダンスにハマっています。
初めて自分以外がブレイクダンスするのを、しかもチームで踊るのを観て、熱い気持ちが再び湧き上がると同時に自身もダンスを披露したいと決意していました。
その先輩の1人が現在当スクール「ビバップ」講師のアキサンである事を後に知る事となります。
団員となった翌年の体育大会ではプログラム最後の応援合戦でブレイクダンスのユニゾン、ソロでは土まみれになりながらグラウンドでウインドミルを初披露しました。
皆でダンス練習する事の楽しさ、めちゃめちゃ盛り上がったあの時の感触がずっと残り続ける事となります。
そして社会人となった80年代後半はディスコ時代ど真ん中、巷はユーロビート一色!
いつもダンスフロアはビーターで盛り上がっており、フロアの片隅でブレイクダンスを1人踊る日々が続きます。
ディスコでブレイクダンスを踊れば今更? みたいな目で見られ、ブレイクダンスソングのリクエストもスルーされる日々が続きます。
※ビーター / 2ステップと手・腕の振りを皆で合わせるパラパラの源流「ユーロビートダンス」、それを踊る人達の総称
そんな悶々とする日々に、ついに一筋の光が!!
そう、90年に「天才たけしの元気が出るテレビ」内で始まった「ダンス甲子園」
当時アメリカですでに流行っていた新しいダンスやラップミュージックやファッションはヒップホップカルチャーと呼ばれ、上記番組より紹介され日本の若者へも急速に浸透していきます。
ディスコでもブラックミュージックやラップ全盛期へ突入、我々ストリートダンサーの時代が再び到来します。
当時、某ドーナツショップのクローズ作業を速攻済ませ地元ディスコ「ジパング」へ行くのが日々のルーティン。
開店直後のジパングはリクエストし放題で踊り放題、その時間のフリーダンスが今の自分を作ったと言っても過言ではありません。
通い詰めた結果、営業前後のダンスフロアを練習場所に使わせてもらったり、営業合間にショーケースをさせてもらえるようになっていました。
同時期、市内には「フェイズワン」 「ファンカデリック」 「ジャックインザボックス」など、現在の礎となるダンスチームが生まれ、しのぎを削り合います。
当講師陣「アキサン」「ウッチー」「ジュンコ」「フミ」はその時のダンス仲間です。
そして第3回ダンス甲子園優勝チーム「インペリアル」の母体「インペリアル JB’s」へ入団、その後15年間活動させて頂きました。
活動後半、前十字靭帯断裂の大ケガを負い1年間のリハビリ。
初めてダンスの無い将来を考える事となります…
最終章「Vol.3」へ続く
当時の貴重なメンバーズカード

